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Channel: こころとからだがかたちんば
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2014年11月26日 水曜日 煙が目にしみる

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夜中まで眠れず、ラジオとお湯割りで過ごしたおかげで、今朝のアラーム音は身に響いた。
大した時間眠っていないので、開けた眼が痛く、起きぬけに目薬をさす。
今朝の雨は、さほどの強さでは無かった。室内は寒いというほどでも無く、朝風呂の助けもあって、朝の鬱は乗り越えた。

朝会いたくもないが、エレベーターで会ってしまった仕事場の者は「寒くないの?コートを着ないの?」
「一度着たら、脱げなくなりますからね」と適当に言い流し、お互い笑うが、こちらは心じゃ笑っちゃいない。

こんな日、外で過ごすネコや鳥たち、ホームレスの人たちにはつらいことだろう。
ホームレス、という言葉には、実は抵抗がある。ジプシーなどと言った方が良いのかもしれない。生き物や彼らこそが一番エコであり、一番四季折々の美しさと痛さ・両方を骨身から知っている。

やたらとエコと声高に言う人は、経済のみに生き・消費蕩尽世界に生きている後ろめたさ・罪滅ぼしとしてエコと言って行動しているように見える。
そんな一般人は、そのウラで、定点ホームがレスしたモバイル・ホームに住まうことを一つ下げた世界とみなし、その一方で無線式モバイル”すまほ”に夢中なのである。

社会経済側に部分的でも加担することで生きている、という意味では、私も同罪である。しかしそんな自己欺瞞を意識して、両足を突っ込むことなく2つの世界に生きている分だけ、まだ罪状は軽いほうではないか?と自己弁護する。社会的存在≒仕事≒人生≒自分となってしまったら”ジ・エンド”と、今の私は思う。

そう言いながら、ぬくぬく室内で仕事をしているくせに、と思う。
外を見ると雨はやむことがない一日。

帰路、外に出れば強い北風に冷たい雨。「コートを着るまい」と強がりながらも、鼻の下をつーっとハナ水が垂れる。風邪は越えたが、日々変化する天候を越えていくチカラが欲しい。

帰った室内は13℃。くつしたを脱ぐと足がつべたい。
暖房は使っていないので、服を着込んで、毛布にくるまる。

お湯を沸かす。漬け込んだ自家製の梅を浮かべて呑む焼酎のお湯割りがおいしい。
自分の場合、何でもそうだが、自分が関わったものは、関わった分だけリアリティがある。焼き魚ひとつ取っても、外で食べるそれよりも、自分が焼いた魚が断然おいしくて、丸ごと食べてしまう。

昨日今日の雨で、紅葉の相当な量の葉っぱが落ちてしまったが、まだ樹々は頑張っている。まだ冬とは呼べない。雨風しのげる室内に居るが、風の音がごうごうとしている。

今日は往路も復路もブライアン・フェリーの80年代作品を聴いていた。
「ボーイズ&ガールズ」「ベイト・ノワール」
今目の前の新譜を聴かねば、と思うのだが、ついつい引力に負けて、あの頃の作品にワープしてしまう。
フェリーの音楽が困るのは、聴いているうちに酔っぱらってしまう点。

健さんのヤクザ映画を見た後、映画館から出てきたファンが肩を切って街を歩くように、フェリーを聴いているうち、タバコを持つ手も変わり、やけに煙ったくタバコを吹かしながら、きりりという流し目をしている。そんな憑依・乗り移り方をする。
そのカッコよさと魅惑は、麻薬のようにそこから離れられない中毒を誘う。

しかし、本物のブライアン・フェリーは、お湯割りやアツカンなど呑まないのだ。

■ブライアン・フェリー 「リンボ」1987■

デカダンス世界と自然/素の中で生きること。
理屈上では自己矛盾・キチガイだろうが、それでも自分の中には違和感なく両方が共存共栄している。

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