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Channel: こころとからだがかたちんば
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2015年10月17日 土曜日・深夜 インソムニア(不眠症)

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島の帰路を辿れば、0時を回っている。今夜は夜ふかしネコさんに逢わない。みんな寝たのだろう。

今日もいろんなことがあった。あり過ぎた。だが語りづらいことが多い。
小林弘幸センセイの「三行日記」そのものはマユツバだが、要約圧縮して俯瞰する視点を提示しており興味深い。

今日を要約すれば・・・まず。
9末終わった永さん&外山さんラジオの後・ナイツがDJの番組に細野さんがゲストで生出演。
ナイツの片方の人が細野さんのファンで実現した出演ということに感謝。

子供の頃、大好きで一晩中聴いていたという「インソムニア」が掛かる。
煮物を創り・お昼ご飯を食べ、午後、久米さん~宮川さんのラジオを聴きつつ歩き、いつもの写真旅。

たんまり歩いてシャッターを切った後の夜、新宿で幸宏のライヴを聴く。(※彼のソロでは無い。)
「ニウロマンティック/ロマン神経症」からの『グラス』『ドリップードライ・アイズ』に始まり、涙腺緩むが・・・その後むにゃむにゃ。。。途中「ぼく、だいじょうぶ」からの『It’s Gonna Work Out』も素晴らしかった。

夏の野外も今夜も、幸宏に対する疑問がある。
こういった疑問符は80年代初頭から時折おとずれる。何も今夜始まったことではない。
それは、細野さんや教授に対しても抱くときがあること。

YMO三人それぞれのファンだからこそ、そう素直に思う。
ファンだからと言って、その人がやることを全て受け入れるということはありえない。
好きだからこそ、一つ一つの作品なり言行に不自然さや危惧を抱いたり、批判をあえてしたりする場面があるのだが、瞬間の狂騒やノリに洗脳されてしまう今のこのクニでは理解されづらい現実。

今の幸宏への疑問符は、このクニの若い音楽家等のオーガナイザーであろうとするスタンス。
そんなにまで手を伸ばしたいのか?ビートルズで言えば、ポール・マッカートニー的なにおいを感じる。
ポップスを愛し、細野さんや教授のような異端をあえて行くのではないニュートラルなポジションをキープする生理的バランス感覚は分かっていても、そう思う。

90年代現れた「YMOチルドレン」に始まり、三人三様フォロワーたる音楽家の奪い合いは結果・幸宏の「メタファイヴ」に行きつくが、あれっ?YMOって幸宏だけのものだったかな?というのが、どうも2015年の様相となっている。ほか2人がほぼYMOを放棄しているので、さまざまなバンドが解散後・権利闘争に行きつくのとはまったく異なる。
両狂人の間をつなぎ、何とかバンドを維持したのは幸宏居てのことであり、それもヴォーカリストであると、否定し得ない。それこそしっくりこない。

新宿から神楽坂まで夜道を歩く。夜のあかりにシャッターを切りながらのジグザク。
わだかまる帰路、電車の中は人が少なく安らぐ。長い帰路、坂口安吾を落ち着いて読む。
わだかまりを忘れるべくmp3プレイヤーに入ったデペッシュモード等々を聴いた。
四月の魚さんの言葉に感化されたのもあるが、もともと秋はデペッシュモードの季節なのである。
決して浮いたところのない彼らの音楽は常に信じられる。

■デペッシュモード 「ワールド・イン・マイ・アイズ(ぼくに見えている世界)」1990■
狡猾という言葉があるが、そんな政治的なものや権力闘争は仕事場周辺にたむろする”連中”だけで、それ以上はどうも受け入れられない。

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