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Channel: こころとからだがかたちんば
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2015年8月1日 土曜日 「夏の音色 いとおしさと切なさ・2」

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blue moon , blue・・・

■大貫妙子&坂本龍一 「夏に恋する女たち」1983■(Sound Only)

真夏の夜の 夢ごとに 誰も酔いしれ 恋する

あなたの熱い まなざしで 私の夏が始まる
ふたりは夜を かけ抜けてく まるで子供のように

みじかい愛のたわむれは 鮮やかすぎて 哀しい

きらめく街を ふりむけば 想いは遠く うつろう
風のテラスで 語りあった ほほえみはかえらない

光の海で Leve-toi et viens avec moi
群れ遊ぶ 魚たちよ
ほほよせて Leve-toi et viens avec moi
抱きしめて 恋人たちの舗道に 朝がくる

私はそっと 目をとじて あなたの肩に 寄りそう
迷いを捨てて もう一度 ふたり明日を 見つけた

作詞・作曲:大貫妙子
編曲:坂本龍一 / 1983年8月5日発表(ドラマ「夏に恋する女たち」テーマ曲)

坂本龍一:キーボード、ヴァイブ
林立夫:ドラム
大村憲司:エレクトリックギター
吉川忠英:アコースティックギター
浜口茂外也:パーカッション
沢村満:サックス

当時、教授は「ひでえドラマ」とサウンドストリートで言っていたが、音楽のほうは素晴らしい傑作。
音楽家としてのター坊の偉大さに、身を削って音魂を込めた教授のロマンティストとしてのアレンジが、この作品でも展開している。
ひたすら聴いていると、空は青くとも、その切なさについ泣いてしまう。
2人のコンビネーションと相思相愛を感じる。

2015年8月4日 火曜日 「夏の音色 暑中お見舞い申し上げます。」

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定期通院。トリガーポイント注射を首と肩に数点打ち込む。ひざの治療で来たお母さんが待合室にいたが、大正15年生まれと訊き、何がどう時間をひん曲げ得るのかを考えていた。
麻酔でしばらくぽわんぽわんとするが、その後は体内からの熱さが危うい。汗だくになり仕事に戻りたくはないが、お盆前はそうもいかない。戻る道、安物のゆかたを着る、どうせ数時間後脱がされる女子群れとすれちがった。

腫瘍や骨の変形は小康状態。ローガンズは進行中。
年下なのに白髪の主治医と会話。彼はリアリスト。そんな彼と最近少し近い会話が出来るようになった。

先生「どうですか、調子は。」
私「何がどうより、暑さをどうしのぐかで明け暮れていますね。」
先生「私はここに居るから分からないけど、現れる人はみんなそう言いますね(笑)。」
私「こう言うと何ですが。。。暑い地域の人は考えることより暮らし中心になる。それでも汗かきながら、その一方で四苦八苦ああだのこうだの悩んだり・考えています。”世間”で騒がしい事態もありますし。そーゆー奇妙なさまです。」
先生「ああ、なるほど。私、ハワイに行った時のことを想ったんですけど、そんな地域の人はおだやかでした。これが砂漠になれば、それはまた別のこころもちがあるんでしょうけど。それを言いたいんでしょう?」

お互い将棋か囲碁をしているように、言葉のコードを裏読みし合う中、先生は自分の言葉を受けて誤釈した面はあるが、ハワイの経験を語りニカッと笑ったときは、へんなシンクロを受けた。

先生「ただ、今ここで起きていることは、度を越していますね。」
私「どうせなら、せっかくだから生きることに必死になればいいんですよ。」
先生「。。。」

言葉もなく、言葉を受けて考え出した先生のシーンが残った。

仕事からの帰路。公園を覗くとキジトラちゃんが寝ていた。その横の木々はセミしぐれ。
よく寝られるもの。我が家に招いてあげたいが、同意されないから難しい。あとは上げるカリカリを食べてもらい、暑さを乗り切ってもらうしかない。

***

昨年ある夜、その事態に絶句してパニックになった教授のこと。
本人のレターを読め、少し暗澹たる気持ちがゆるむ。





■(どてら)YMO 2011 イン 温泉宿■

細野さんの「寝ちゃうよ」という脅迫と恫喝に、夜・大笑いした。


■ヒューマン・オーディオ・スポンジ 「以心電信」(ライヴ・パシフィコ横浜)2007■

2015年8月7日 金曜日 「夏の音色 熱中お見舞い申し上げます。」

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ルパート・ホルムズ、イーグルス、エア・サプライ、トッド・ラングレン。。。。
くたびれた今夜帰り途は、耳に優しい音を聴いていた。この手合いの曲を聴くのは珍しい。

mp3プレイヤーに入りながら、ここ最近・ボタンで飛ばしてしまっていた曲。元々は会議や野外録音用の小さな録音機は、mp3プレイヤーとして使うならせいぜい200曲が限度。
ボタンで次に飛ばすならば曲を入れ替えれば良いものを、だらしないから中にある曲は体系立つことが決してない。もっと曲が入るものを買おうかとよぎるが、買わずに来ている。制約があった方が良い、とは言わないし、そこには理由はなく、単にお店で選ぶのがおっくうなだけである。

***

今週今夜・金曜日夜にこれらの曲に向かったのは、社会という外にさらされながら生き抜く体勢から、夜の花が眠りに着く為つぼみを閉じるように、内なる回路へとシフトチェンジをする過程だった。
友人MZ師は「休みになる日の前、エレベーターに乗る瞬間が一番しあわせだ」と大げさによく言っていたが、似たようなものだろう。そんな彼に日曜電話をすると「涙で泣き濡れている。涙がほほを伝うのだ。」とテリー伊藤さんの『お笑い北朝鮮』からのセリフをよく吐いていたのを想い出す。

昔と違って今では、それまで苦労した分・かなり好きなメンバーに囲まれて、笑い話や雑談をしながらパチパチとキーボードをたたきつつ”お仕事”を出来ている。出来るだけ平日と休みというへだてなく、生きられるその日その日が最良であるよう努めているが、それでも嫌悪すべき人との事件は毎日多々起きる。
今夜、シフトチェンジが起きたのはやはり休めるという安堵からだが、それは”お仕事”のみならず、異常な温度湿度の中から一段下に降りられるからでもある。

***

大学に入ったとき違和感を覚えたことの1つ。名前だけは立派な美術部の部室。画材のにおいが充満するきたない部室に現れては消えていくメンバーを見ながら、彼らが使う「オツカレサマ」ということばだった。
いったい、何が”お疲れ”なんだろう?という率直な疑問。バイト程度しか働けない身分で、いったい何を言っているのだ。そこに背伸びとまがいものの感がぬぐえない。

その地点からワープして、日々泥にまみれる”お仕事”に就き、真の「お疲れ様」を聞くようになった。たとえばある日、出張先でその地の人と再会の笑顔を浮かべつつ、「お疲れ様」と慰労される。確かに短時間で高速移動が可能になった現代では、移動そのものが疲労である。
しかし、それよりもっと広義でとらえれば、生きていることそのものが”お疲れ様”なことなのだと、今では分かっている。それは仕事をしようがしまいが、生き続けることそのものが大変なことなのである。

こういった言い回しを、自己力の強い大竹伸朗さんや藤原新也さん、あるいは過去の教授は許さないだろうが、今の私はそう思うのである。

***

今年の暑さは少し異常に思う。それは歳のせいだよ、と言われるかもしれないが、震災のあった2011年夏の猛暑でもないし、その後体感した夏とも違う。
なんらデータや証拠はないのだが、体感的に異様さを覚える。ふつう梅雨が明けると湿度は落ち、温度は高くともこんな蒸し風呂じゃあなかったのではないか。

この一週間とんでもない暑さが続いた。それでもやっと今夜、雲が空のクッションとなりつつ、風が少し良い感じで昨日までよりマシである。島のあちこちで外遊びするネコや風通しの良い場所で寝るネコに出会った。

こんな熱暑でも”お仕事”をしている人は勤勉なんだろうが、自らの心身が無くなってしまったら終わりなのだから、そこへ意識を集めていって欲しいと思う。今日、回路が変わる境い目でこういった過去毎夏に聴いていた曲に耳が届いたのは、やっと狂気から正気のほうに陽気が向かえたスキマを感じたからであろう。
明日はくもりになるようだが、そうなって、更に一雨来てくれれば最高なのだが。



■Air Supply 「Lost In Love」1980■





1989夏 段ボールにアクリル

2015年8月9日 日曜日 「夏の音色 ”Stray”」

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土曜、やっとまっとうな暑さとなる。
それまでがひどかったので涼しいと思うくらいの錯覚。

明らかに熱中症,、といったことに、このあたり三・四回出会った。
めまいや苦しさから、水を飲みつつ街の一角にへたっていたこともあった。

この土曜、歩き進む途で、へたることはなかった。
苦しさを覚えることもなく、何気なく2万歩以上をあっという間に過ぎており、すいすい旅していた。

だが、それでも汗はかく。この夜珍しく長く寝た。寝過ぎて首痛・腰痛で起きる。

日曜も歩いた。
それまでにないまっとうな汗をかいて、雲を追い掛けた。



■Aztec Camera 「Stray」1990■

社会人になってから初めて異国・大阪に降り立ったとき、大学以来の優しい友人が助けてくれた。
彼は芦屋生まれで、自国に戻っていた。ほんの数日しか借家を探すヒマも無い中、一緒に数日付き合ってくれた。そのとき彼が運転しながら掛けたカセットテープが、このアズテック・カメラだった。

彼は私より年上。精神的に問題をきたし留年した彼。そんな頃、彼と出会った。
お互い20そこそこ。それ以来の付き合いとなる。
当時、カラカラ笑う彼の見た目は、まるで少年がそのままといったさまで、人懐っこい彼とすぐ友達になった。

借家探しをするさなか「Stray」から切り替えて、日曜FMから教授の昼のラジオ。
それは、私が要求したものかもしれない。異国に来て心細かったのかもしれない。

その番組から「ストロング・リラックス」が流れた瞬間は、御堂筋。
夏のような日差しの中、アスファルトからの照り返し。強いギラギラした太陽がその曲に混じった風景。
その夜、彼は神戸の温泉ランドに連れて行ってくれて、共に湯に浸かり旅の疲れをいやした。

その数年後、震災に出会い、いろいろあるとはつゆ知らず。

今日、青空と入道雲。その中聴く「Stray」は、意外な響きをした。










2015年8月10日 月曜日 「夏の音色 偽世に距離を置く技術」

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7月25日、土曜午後1時の昼下がり。
TBSラジオ「久米宏・ラジオなんですけど」が残念ながらお休み。そこで文化放送を聞いてみた。
「土曜の午後は・ ヒゲとノブコのウィークエンド・ジュークボックス」という番組。
この2時間のラジオ番組は初めて聞いた。

「ヒゲさん」?。
“お笑い”の・・・と何となくは分かるが、テレビを観ないのでその「芸」とやらも全く知らず。
だけど、話しがとても楽しく、歩いて聞いていてなごんでしまった。つい久米さんから浮気しそうなほど。ユーモアに満ち温かみのあるラジオ番組。夫婦の浮気というのも、こんな出張のすきまに入り込むんだろうな。と仕事場や身近にたくさん居る・形だけの夫婦を想像し、妙に納得する。

この番組はリスナーのおはがきをたくさん紹介する。それを絡めたお話しと音楽、それが交互にサンドイッチ状になって進む。しかし、掛けた音楽そのものについては多くを語らない。
1986-87年頃、ウィークエンドの同じ時間「タモリで失敬」というタモリさんの生放送番組があった。それを想い出させる。
別に似ているからではない。

「ウィークエンド・ジュークボックス」はこの日、井上陽水さんの新譜『ユーナイテッド・カヴァー・2』から、かなりたくさんの曲を掛けてくれた。あの「氷の世界」を『熱い』ラテンフレーヴァーでカヴァーしたリメイクにはじまり、どの曲も素晴らしい。歩きながら、あるいは、途中バスの車窓から流れる風景を見ながら恍惚となる。
他の番組でも聴いていくうち、この作品をCDで買いたいという気持ちになる。全曲を聴いたわけではないが、少なくとも5~6曲を聴いた感想。それもイヤホンで聴くべき、と自らへ。

聴きながら思ったが、多種多様なカヴァーには原曲があれど、このカヴァー集では完全に原曲が陽水風に巧妙に消し去られている。出来上がった名画のキャンバスを地塗り材で一回全部塗り潰した上で、そこにうっすら浮かび上がる元の絵をなぞらえながら、似ても全く非なる線と色を描いていく。そんなイメージが浮かぶ。

曲そのものが何であれ、それはもうどうでもいいのかもしれない。
ラジオで聴いた4~5曲目でそう感じる。材料が何であれ、陽水の声で歌われた瞬間に「そういうもんか」とすでに上から塗りたくられている。ご法度や支離滅裂というコトバや概念はもはや通用しない。

ある曲で「海に浮かんだプールでひと泳ぎ」と歌っていたように、今回「氷の世界」を熱いイメージ世界に持って行くように、理屈や一貫した何かで語ろうとすること自体がいかに馬鹿らしいか。
鼻でせせら笑いながら、その源を決して語ることなく、1つの言葉に閉じ込めようとする側の連中からさらりとすり抜けて、泳いでいく。
音は自由自在に料理されていく。

昔、シャブで捕まり、そんなときだけ聖人ぶる群集に追い詰められ、身動きできない監禁状態におちいったアーチスト。その彼は、彼らがとらまえようとする術(すべ)や手の内をよく知った上で、なにごともないようなフリをしては自由に歌う。

井上陽水の有名な曲「氷の世界」。
この歌が生まれた当時、周囲は学生運動一色の世界。
あたかも思想を持っているフリをしなければ吊るし上げに合うような時代。周囲と一緒にデモに論争。逆にそうしていれば、とりあえず意味は分からなくとも群れ(ムレ)から村八分にはならない。

そんな時代に、そこに背を向け「きみに遭いに行かなくちゃ。傘が無い。」と公では無い私に終始する問題を歌った陽水。陽水ファンの友人MZ師がよく語る言い回しでもある。
私などは、ついU2の「ニュー・イヤーズ・デイ」の世界を連想するのだが、捉え方は人による。
根の深さでは2015年に底通するのだが、2015年恐怖の大王ならぬオブラートが全体を覆っていて、あたかもな表層の部分を見てああだのこうだの言っている。陽水さんに学ぶことは多い。


■井上陽水 「リフレインが叫んでる」2015■

早めに帰りAMラジオを付けて皿洗いをするが、アニメ声やらIT評論家など・いかがわしくてどうにもならない放送に業を煮やし、FMにチェンジしたおかげでNHK-FMで清水ミチコさんの声に会う。
アッコちゃんの特集。23時を過ぎると、津嘉山正種さんの声。こちらは休みじゃないが、夏休み特番の時期だと気付く。
室内にいて聴いているとタイムワープしたみたいな変な感じを覚える。

2015年8月15日 土曜日 「夏の音色 街をさすらう音盤」

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歩きやバスなどで池袋に近付くと、人ゴミやざわめきに何も思わないときもあれば、察知して道を反れていくときもある。過去歩いたおぼろな記憶を辿って、大塚・池袋界隈をさまよう。
ここ一年くらい、そんな日がある。この数十年で、数ローリング目か盛り上がり巡ってきた。

新宿は幼少期百貨店での親の買い物付き合い・小学生時代の塾への中継駅、という経験が体内での基点だが、池袋は高校時代の学校近くと関わりあった頃が、変化した今の場と時を測る尺度。
2つの街とも100%拒むつもりもないが、とことんの愛着もない。御茶ノ水・神保町のように絶えず行くような場ではない。

利権絡みで五輪を誘致した後の東京は、加速度を増して穴だらけになっている。
気を緩めてその街に行かぬほんのわずかの間に、街は180℃姿を変えていく。自分が知る限りでは80終盤~90年代初めへの大破壊に近い。それを当時世間はバブルと呼び、そこにおぼれ浮かれていた。その類の世間と取り巻きが、また何事もなく復活している。人は平気で過去をほうむり去り、忘れる。嬉々としている。

親族・先人たちから教わったり本や写真で確認しうる限り、関東大震災・東京大空襲・前回五輪・バブル、そして今回。「未来に向かって・・・立派な・・・他国に誇れる・・・復興に向かって・・・」と言葉のすげ替えをされながら、破壊を浴びる姿を目の前で見ている。

ただ下町の破壊に比べれば、過去から新宿や池袋は変容することを運命付けられた街なので、さほどのショックは無い。

池袋を歩くなか、よく寄り道した中古レコードのお店があったのはここではないか、という確信がやっと産まれた。たぶん、ここだろう。
静かな東池袋公園の真ん中に佇み、四方に立つビルを1つ1つ見ながら、どこにそのお店があったのだろうか・・・と昔の記憶と合わせようとする。しかし、これというビルまでは分からなかった。

そのレコード屋は公園の横のビルの2階にあった。
お店に入るとところ狭しとレコードのエサ箱があり、塩化ビニールなどがつくり出す独特の匂いが満ちる。それは御茶ノ水のお店と変わらないが、このお店は、私の中で御茶ノ水のレコード店と異なる空気を持っていた。

外に向かったビルの二面がガラス貼り。外光をたっぷり取り込むので、室内はレコード棚や壁のクロスの白と混じって明るい。しかし公園が横にありひっそりとしており、清潔感と非中心・エアスポットならではの落ち着きがあった。

ガラス面に向かって並んだレコードのエサ箱。
その前に立ち、カタンカタンと時折音をさせながらレコードをめくっていく。たまに窓の外を覗き見下ろすと、公園と周囲を囲む樹々と緑。動きの無い風景、やかましい音のしない空間。

めくるレコードはトランプのよう。
数百枚めくるうちに現れるチャンスカードに一瞬嬉々とするが、そのレコードに貼られたスタンプ印字の数字の並び、ジャケットや盤の状態とにらめっこ。嬉々とした思いも、一瞬のうれしさのあとは現実に財布に入った数少ないお札にブレーキを掛けられ、決断と選択を迫られる。

そのお店で買った印象深いレコードはいくつもある。
デペッシュモードの「ア・ブロークン・フレーム」、チャイナクライシスの12インチ「スクリーム・ダウン・アット・ミー」、ジューク(大竹伸朗)の「ピース」など。

また、小ぶりの箱には、当時のじぶんには珍しかった輸入盤の7インチシングルがあり、視たこともないばかりか聴いたこともないし一体何なのかもわからない、だけど何かがにおう(クサイナ)そんな盤があった。

スネークフィンガーの「ザ・モデル」(クラフトワークのカバー)は、教授のサウンドストリートでも知っていたし、たぶん500円程度だったので喜んだ。コリン・ニューマンの「インヴェントリー/ディス・ピクチャー」(1981・ベガーズバンケット)、アンナ・ドミノの「トラスト・イン・ラヴ/リピーティング」(1983・クレプスキュール)は2色印刷のシングルジャケットに惹かれてやまなかった。しかし、レコードレーベルは知っていても中身は未聴。
そこでエイヤと勢いだけで買えたのは、ほかに比べて安かったせいである。



この2枚のシングルは、こんな経緯ゆえ、入った曲を好きとか嫌いといった感情以外のモノとなっている。自らレコードを買う、という行為、そこにいたる様々な事象・前後関係・偶然が重なっている。

この中古レコード店があったであろう場所を離れ・歩いていくと、ひっそりした露地がある。
そんな横丁には、未だ古い喫茶店がまだあったが、それはアニメ好きが集まる店と化していた。








2015年8月17日 月曜日 ~18日 火曜日

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8月17日 月曜日 お盆明け
朝、雨。休みに狂ったサイクルで三時間程度の眠り。
そうめん汁。味噌汁にオクラ・とろろ昆布・そうめん。緑茶、シャワー。
雨の中、歩く公園にセミの声。

仕事、スポーツドリンク。昼、魚フライのお弁当、天ぷらうどん。
天津爆発事故のテレビを一人で見て、幻のようなこわい映像と食べる。

***

帰路、アメリカンショートヘアの幼児”うりん坊”と遊ぶ。
陽水「夢寝見」を繰り返す車内と島への道。
からだじゅうかゆい。じんましん数週間前から再発。

お米5キロ、サーモンのお刺身買う。
帰って皿洗い、サーモンにおろしニンニク和えて漬ける。米2合研ぐ。

ネットで桜島のニュース、缶ビール始める。
刺身と米浸かるまで、スクラップブック作り。ごみをおしのけ、いつもと違う場所に座る。
大きなこたつ兼テーブルから見える角度のモニター。本・ノート類雑多にある地点で見ながら作業すると、我が戻ってきた感覚。

初めてネットで見た「ドキュメント72時間」。
上原隆著書「友がみな我よりえらく見える日は」を想い出す。現実に生きている人々のありさまに安堵。

『はなキャバ人生劇場』回に、大竹伸朗さんの”日本景”が重なる。
ふだん気が付けば雑事に巻き込まれ見えなくなってしまうものが、この夜、砂の中に見えた。

筋子・サーモン丼。寝床で三本目ビール。
23時過ぎ、福岡の先輩友人にTEL。話すうち向こうのペースに呑み込まれ2時間。
向こうの電池切れ、四本目ビール途中で酔い、いつの間にか眠りに堕ちていた。

2007年のスクラップブックを久しぶりにめくる

8月18日 火曜日
目覚めると明かり付けたまま。アラーム、お湯を沸かす。
お茶を飲み、かゆい場所にムヒ塗る。

疲労した目に眼薬、外に出る。
空は向かう方向により空模様が異なる、黒い雲固まった方向、青空方向。

七色味のニョショウが、都心に向かう往来に湧いている。
それらとすれ違い、通り過ぎる。

朝、再度うりん坊が居た。少しだけ遊ぶ。
ヴァンスKショー。

昼飯・ノリ弁、タマネギスープ。
午後、ラジオ音の気配に反応。ニューオーダー新曲と知る。一寸の希望と明るくなる。

***

仕事場を出るが、頭の痛さが強い。
川沿いは風が涼しいが、ビル街は蒸し暑い。

帰路、モビーの「フロッグ」をリピート。
電車に乗る淫靡な亜細亜女が不愉快を振り巻く。整形と思しき人工美形。
風俗店広告のデジタル加工写真そっくり。その不可思議さから何度か見ると、不快な表情をされる。二〇一五年に入って以来、異常に湧き出た外人観光客。

この日、朝からいっそう老眼がひどく見えず、夜も。
島の夜は湿気でべたっとしている。公園でキジトラちゃん・黒ちゃんがヘタっている。
風を求めて夕涼み。目の悪いキジトラちゃんといつも一緒にそばに居てくれる黒ちゃん。

缶ビール&スクラップブック作り。
「ドキュメント72時間」。ネコの八ちゃん。

トマト、オクラ、ピーマン、チーズでサラダをつくる。
マヨネーズ、塩コショウ、ドレッシングで味付け。

■ニューオーダー 「レストレス」2015■


1983年 New Order

2015年8月19日 水曜日 ~20日 木曜日

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2015年8月19日 水曜日
朝6時半目覚めトイレ、外はパラパラ雨。
7時ムヒ塗る、ラジオ「グッモニ」流れる。6Pチーズ、お茶、ロールパン。
ちんたらしてしまうだるさ、入浴。

外に出ると雨はやんでいる。すれ違う女の後ろ姿、茶髪その下には首筋。
あらわな黒い背中がねっとり光っている。
蒸し暑い朝。途中晴れてきたせいで、きつい日差しへ。

果物野菜ジュース買い、飲む。
仕事場に着くと汗だく。筋肉脳と打合せ。
昼飯、ひじき、きんぴら、コーンサラダ、焼きおにぎり、カレーうどん。食べては、また汗だく。

帰路、車が多い/人は少ない。理由はわからず。
揚げ豆腐、島なす、トマトを買い、帰る。
音としてのナイター中継流す。ドキュメント72時間、スクラップブック作り。

2015年8月20日 木曜日
朝、かなり強く降る雨音、風呂場でシャワー。
なかなかうまいテンポで来ない電車。地方への電車。
車中ノイバウテン「ビューティー」がひたすらリピートされる。

空いた車中、おにぎりを喰らう女。赤飯か混ぜご飯か、色がついていている。
ひと気無いローカル駅の日本景。
降り立ち、土のにおいの道を歩く。
温度低いパラパラ雨。でも蒸し暑い。

ひと仕事終え、都内に戻る。陽水「ピポパ」「エミリー」。
向かい合わせ席、外を流れる遠景には暗雲。
昼を外し・人だかりを外し食べるギョーザ定食。
それでも夏休み中に、ふだんとずれた時間のだれた人が多い店内。嫌いじゃない夏風景。

都内で仕事を切り上げ帰る。眠くだるい。
パラパラ雨は続き、雨のおかげで温度は低いが、湿気ベッタベタで不快指数上がる。

夜、缶ビールアンパンなどを買って帰る。
帰って着替えるとかゆかゆで、血が出るまで足を掻いてしまう。

ノートにひたすらレシートを貼っていく。22時過ぎパスタ茹で上げる。
23時時過ぎてレシート貼りは多少小宇宙作るが、先は長い。
ネットで見る「ヨルタモリ」に安堵。

パスタ。小松菜・ほうれん草・ニンニク・たまご・タマネギ・チーズ。
ダラムマサラ・塩コショウ・マヨネーズ・オリーブオイル。
寝る体制に移り「ヨルタモリ」に篠山紀信、サンタフェ。

■井上陽水・細野晴臣 「Pi Po Pa」1990■
作詞作曲:陽水/編曲:陽水&細野 ’90NTTイメージソング

細野さんらしいファンクの色がするアレンジ。

2015年8月21日 金曜日 ~22日 土曜日

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2015年8月21日 金曜日
朝、緑茶とタバコ、服薬。抗鬱剤と鎮痛剤。
残り酒と疲れがのしかかり、カラダ重く、仕事行くこと自体・どうでもよい気分になる。気が迷いを感じる数分。
なんとか動き出すとそれなりになるもの。とろい間に時間は過ぎてしまう(しかし、そんなとき幸福は宿る矛盾)。入浴、支度。

外はうすぐもり。相変わらず蒸し暑い。
今日も地方の何もない日本景。車中、ビージーズ「愛はきらめきのなかに」、レイン・トゥリー・クロウ。

エンドレスリピートしてもじゃまにもならず、そっとある音。
それらはつまらぬ起承転結形式をまとわず、誇張された抑揚圧迫もない。
レイン・トゥリー・クロウ。2~3分程度、つなぎ目が分からないアブストラクトな音が満たす曲を、好んで繰り返し聴く。

前日と同じ流れ。午前に地方、昼過ぎ都内に戻る。
途中駅でらーめんとちゃーはん。汗だくなのに熱いものを食べる。
むかい席では、髪をよけながら、冷やし中華をお上品に食べる女性。

都内で仕事後、夜の帰路を辿る。人身事故の放送。悲劇はどの季節もはらむ。
当たり前ではいけないが、それが当たり前の東京。しかしまっとうな人は、今夜も本当の声や会話を必要としている。車中、陽水「夢寝見」「ピポパ」「最後のニュース」。

島の夜は、ベタベタ蒸し、ネコは細道から顔を出さない。
帰ると汗だく。ハダカになり洗濯機回し、室内干し。糸井さん「ヨルタモリ」出演回観る。
聞き逃せない糸井さんとタモさんの会話。40・50代、そして60代について。
たくさんの”CUE”。

夜もラーメン、1玉半。ニンニク・たまご・ほうれん草・長ネギ。
友人MZ師に明日の確認電話。既メール「22日は、久しぶりにYMOやります」の件。

2015年8月22日 土曜日
8時40分、いつも通り疲れは残るが起きる。湯を沸かしお茶を飲み、ラジオをつける。
永さん・外山さん、そしてピー子さんの声。何杯もお茶を飲み、タバコを吸う。

支度をして、昼外に出るとギラギラした日差し、ムンムンする湿度は梅雨から変わっていない。
車窓からの青空・雲・線路。夏が舞い戻ってきた感じ。
しかし、盆明け太陽の高度はすでに下がっており、撮る写真の色合い・光感に秋が透けて見える。

ニューオーダー「ファインタイム」「リグレット」、ハート「ディーズ・ドリーム」「アローン」。
車中でのアドレナリン音楽。

電話やメールで連絡はし合っているが、久しぶりの3人集合。
閑散とした居酒屋で、昼定食を3人一緒に食べる。もはや家族同然同志の食事。アジフライ定食&アイスコーヒー。
文京・豊島・台東地区放浪。。。途中水呑み休憩。汗だくで歩き、写真を撮りつつ寄り道。
マンゴーアイスをハブ噛み師匠にごちそうになる。

日没ごろ、不忍池にたたずむ。
巨大で密集したハス、自然・植物のチカラ。彼岸を思わせる風景。


日が落ちて、なんてことない居酒屋で呑む。
欲望だけが優先される猥雑な町・上野。欲望むき出しの街の空気。
その最たる街・渋谷ならびに新宿・池袋も同じ。それぞれ卑猥さ・残酷さの出方が違うだけ。

話のいきさつ上、ヒトとクニの話へ。。。[なにをいまさら]8割がたの人間は信用に値しない事実をめぐり。
MZ師「8割ということないだろ、それ以上。今始まった話じゃない。ロクなもんじゃない。」
ビールではない生ビール、そこから黒ホッピーへ。

21時ごろ、上野駅前の雑踏で散会する3人。
島に戻り、帰ってお酒をお茶でさますと、またお腹が空いてしまう。冷蔵庫で冷やしていたつぶあんぱんを食べる。

■細野晴臣 「マーキュリック・ダンス」1985■
夏になると聴く音楽は、この四十数年のおかげで増えた。
ただ、やっぱりその年の夏はその年の様相を呈する。
いくら”明日などない”と言えども、聴くには間合いがある音楽はこぼれ落ちる。今年はこの作品を聴かないまま、夏のほうが変なグラフを描いて終わっていく。

2015年8月25日 火曜日 日・月すっ飛ばして火曜

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日曜ライヴの残り香。
いろいろあるが、それはそれで整理は付かない。
マー坊(土屋昌巳さん)のギター姿や、”カフカ”が唐突に演奏したジョイ・ディヴィジョンの曲「トランスミッション」への感銘などがあり、一言では言い尽くせない。

そんな日曜出会った出来事/体内の小宇宙をすっ飛ばすように、台風は迫り・週を明ければ社会なり仕事は容赦ない。
頭痛。今夜はいつもの片側だけのものではなく、頭全体。馬鹿らしいことがこの世には多過ぎる。
それを持って島に戻ると、涼しさは不測の事態を呼び込む。

すでに鈴虫は聴いていたが、今夜はそれが暗闇に浮き立つ。その音色。
帰り道、公園を覗くと、いつもの草むらにキジトラちゃん・黒ちゃんが折り重なるように眠る姿。
最近如実に、この二人の姿が目立つ。

ただ”折り重なる”。まるで昭和枯れすすきのように、お互い手を乗せ合って眠っている。夫婦のように。

今まで多くのネコと時を過ごし、一緒に暮らさせてももらったが、このようなネコの姿を見たことがない。
”オスとメスで仲良く夫婦”なんてものは単なる美談で、お互いが利用し合いながら距離を置くものであるのだが、この2人のありさまはいったい何なのか?
ネコという生き物を私なりに知っている”つもり”は、暗闇の2人に不可思議に映る。

眠っていても大抵カリカリを求めて2人は近付いてくるのに、熟睡は2人を別世界にいざなっていた。暗闇の草むら。

帰宅して、本来の”仕事”たる紙とノリとペンの世界に入る。
帰路に聴いていたBVDUBを、再度掛けながら。もはやエアコンを必要としない奇妙な夜。
BVDUBを聴いて白痴で作業していると、いきなり女友達から電話が鳴る。ノリを付けた紙を貼る手を休めて数十分。そうしている間に気にしていた頭痛が消えている。

■Joy Division 「Transmission」1980■

この12インチシングルは、素浪人のノイローゼのさなか、1985/86いずれかの年に、御茶ノ水交差点ディスクユニオン2階で千数百円で買ったもの。
この曲を、若い人が見向きをしない中、一人たたずんで聴いていた。
すっかり分かる人も少なくなった。


2015年9月1日 火曜日 秋・雨の上野公園

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気が付けば不思議な夏・・・。
一風堂(土屋昌巳さん)のオリジナルラストLP『ナイト・ミラージュ』収録「アフリカン・ナイト」一節だが、ほんとにお盆は明けたのか?という蒸し暑さをひきづりながら、そこに35℃越えの焼けつく日々が続いた今夏。

そんな悪魔も8月最後の週に入ると、一気に30℃切れへと失速、はうれしい想定外。
歩きシャッターを切る像には、既に秋の色味が見えていた。そして、8月が終わり9月へ。。。

この季節が一日でも長く続くといいな。。。
まるで小さい子が言うような口調で女の子に言われて、そうだね、と返す。

”おしごと”は盆明けから、クニが決めた意味不明の”余計な配慮”=9月5連休対策へ。
その途上・休んでいる場合じゃないが、ルール上・夏季休暇を消化せねばならず、今日休みを取った。

雨が降ったりやんだりのぐずついた天候。それもまた良し。
室内に居ると窒息しそうなので、外に出て歩き出す。降ってもやんでも外に出るから、あまり違いはないのだが。

***

観に行きたいと思い、チケットを買っていた展覧会も”いずれ”と言い訳をしながら後送りしてきたが、開催終了に近付き、いつもは行き当たりばったりの自分が珍しく目的を持って歩き出す。
この日曜で終わる『伝説の洋画家たち -二科100年展-』へ。

戦後の匂いを長く保ってきた上野。
駅前”じゅらく”から並ぶ通り、上野公園の噴水、そのスキマに住まうホームレスの人々の構図。それらはとうにローラーで”浄化”するべく体制に殺され・消えた風景のなかを痴呆気味に歩く。

9月1日・そぼふる雨は見える風景を曇らせたが、それは過去と今日を橋渡しして繋げてくれた。展覧会が開かれているのは東京都美術館。ふだんは「都美館(とびかん)」と呼ぶ。

ひさしぶりの感じがする。
常に燃え続ける画家・横尾さんの三叉路シリーズ展やムンク展など、ここで観た時のインパクトの残像がよぎる。
もっと言えば、大学時代アルバイトでココの搬入のチカラ仕事をしていた頃。

著名な絵画展は、絵の扱いが大事なので任せられず、おおむね一般人の絵画展・書道展だったが、絵を搬入してフロアに掛けていく仕事は割りが良い”とっぱらい”だった。
1日で8,000~9,000円くらい日雇いで貰い、夕方には解放される。
そのお金を持った帰り道に、小銭程度でコーヒーや缶ビールを呑む。そんなしあわせの瞬間を想い出した。

雨降る上野公園を歩いている最中、さまざまな音楽が脳内を流れた。
デヴィッド・シルヴィアンの「9月」、レイン・トゥリー・クロウ「ブラックウォーター」、ジョン・フォックス「雨上がりのヨーロッパ」。。。etc。自動生成に任せる。

展覧会は、平日にしては意外と人が居たが、おだやかな年配の方が中心で心地良かった。
もはや亡くなってしまった”文壇”も、こうした”画壇”にも、大いなるウソが含まれるので複雑だが、好きな画家である岡本太郎・佐伯祐三・長谷川利行・山口薫・藤田嗣治の肉筆には興味津々だった。

良い絵もあれば、そうではない絵もある。

それは常それぞれの人の生きてきた路とこすれ合うものだから、インターネットやデジタルで理解できるものではありえない。百人百様。だから観に行く。くだらないメールバトルを明け方しているヒマがあったら、雨だろうが外に出て、雨に打たれたほうがマシだ。

これは絵に限らないことだが、絵を見るとその横に在る作者が生きた時代の数字を見て計算してしまう。それ自体は昔からのクセだが、今では肉薄した事実。

長谷川利行 1891-1940

そこに刻まれた数字と今の時代への距離、そして、自分年齢で”あと何年”と計算してしまうクセ。
[私が彼なら死んでいる]
80年代と今を測る長さに倍率を掛けてみると、100年ごときなどあっという間の花火に過ぎない。
最近はそう思う。そう思ってから、明治・大正の人たちがぐんと近づいて感じられる。

大阪生まれ(失礼:京都生まれ)、酒呑みでアナーキーな印象の強い長谷川利行。
かつて『美の巨人たち』で見て、記憶に刻まれた「タンク街道」が浮かぶ。
形状は違えど、幼少から三ノ輪は下駄屋・荒木さんの実家から浄閑寺を左にして、なだらかに傾く延長線上・遠景に見ていた、南千住のタンクを描いた絵。荒れた筆のリアリティ。
この展覧会では浅草・神谷バーを描いた、という作品。走らせた絵筆とはねた絵具の痕跡。

薄暗い中、観る人がうごめく。
しかし、これを描いた人たちはもう居ない。
絵だけが在る。
それが、存在する絵よりも印象に残った。

絵だけが残る中をうごめく人々の姿にシャッターを切りたいが、そうもいかぬ。
とある画家の静物画の説明に書かれた言葉。「物がそこに在る、という不思議」。
その画家はそれに導かれて、病気で外に出られない室内で静物画の魅力にとりこになったという。



■ウラミジール・コスマ 「センチメンタル・ウォーク」(映画『デイーヴァ』サウンドトラック)■

ああ、やっぱね~っ、といくら思われても、雨の上野公園のリアルな風景を目の前にすると、未だ好きな映画「ディーヴァ」の美しさを想い出す。

「絵を描くことは、生きるに値するという人は多いが、
生きることは絵を描くことに値するか」(長谷川利行)

「美の巨人たち」(2002年7月27日放送)で見たものをパソコンで取り込み印刷してノートに貼り込んだ当時。
その2002年ノートを、今一度めくる。




2015年9月4日 金曜日 季節の合い間

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月火曜日、もはや夏とは呼びようもない雨の上野の森に居た。

その後、翌朝から社会の汚泥にまみれ、そこを抜けて島に戻る。
ふとっちょ黒ちゃんが、今夜は独り公園で夕涼みをしている。

月~金。
秋は確実に来ており、仕事の行き来に歩いて可愛いどんぐりを拾ったり、早くもハロウィンのディスプレイを見たりとささやかな愉しい瞬間も味わったが、まだ30℃になったり蒸し暑いときもあったりした。

昨年9月、暗闇の道をラジオ聴いて突き進んでいた週末を思い出していた。
ジェーン・スー氏が「9月はなんべんやっても夏」と生放送で話す。その話しにヒザを打った。楽しい季節のお話しだった。
9月になり気を緩めて、夏物衣類をしまった途端に、ぶり返す暑さに「もうしまっちゃったよぉ」。
よくある話だが、歩く肉体全身で季節の移ろいを味わう中で聴くラジオから、そんな身近な肉体を確認することがうれしく思えた夜道だった。

しかし、今年は多少の残暑はあれども、どうやらそうはならなそうな気配。
9月に竹内まりやさんの「セプテンバー」が見事にハマるなど、長年遠ざかっていた。

服は大して持たず、黒ばかりの衣類。
季節にかかわらずTシャツだけは大事な基本。
そんな具合だから、世間さまのころも替えとは無縁。衣食住の「衣」はたいして影響はない。

mp3プレイヤー内に適当に浮遊する夏の残滓たる曲。
その一部をしまい、秋の曲を入れようとする夜。

○しまうもの(夏)
細野さん、清水靖晃、砂原良徳、井上鑑、鈴木茂、南佳孝、高中正義、サーカス、ポート・オブ・ノーツ、ブロンディ、ブームタウンラッツ、クリストファー・クロス、ロータス・イーターズ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、フラ・リッポ・リッピetcの一部の曲をしまう。
夏が短かっかたため、大して聴けないまま終わった曲たち。

■Lotus Eaters 「First Picture of You」1983■

誰も現代に牧歌的に生きられるはずがない。
だが病弱のため牧歌的であることを強いられた自然詩人たちはいた。
かれらを語るときにいくぶんか、気まずさと恥部をさらけだす辱かしい思いに誘われるのはなぜだろうか。

おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく冷たく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。
遠いアドレッセンスの初葉の時に。

そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。この狼狽と気まずさと恥ずかしさの根拠のうち、とりだすに値することだけをとりだしたいのだが、その前にいうべきことはある。これらの自然詩人たちの詩と文学とは、まず自身の恥部を臆面もなく晒けだしたものを本質としていた。

『その高原で私の会ってきた多くの少女たちを魅するために、そしてそのためにのみ、早く有名な詩人になりたいという、子供らしい野心に燃え』(麦藁帽子)ている『私』は、とりもなおさず堀辰雄のアドレッセンスの自画像の投影だった。

堀の文学はいくぶんかの度合で昭和の自然詩人たちの恥部と、その愛好者の恥部とを象徴することになりえていた。もともと堀自身は現実生活の貧苦を解せぬような、甘い育ちの男ではなかった。旧士族の裁判所勤めの父親とその家の手伝い女中のあいだに生れ、母の再婚先の彫金師の家に育った。向島曳舟通りの路地裏だった。

下町の裏店のごみごみした家並で、病弱であまり子供の遊び仲間に入りたがらない内気な彫金師の連れ子というのが堀の少年期の境涯だった。それは盲目的で濃い人情に囲まれて、それなりに愉しいものだったろう。
だが同時に貧困ゆえに夜ごとに朝近くまで繰返される父母のいさかいを、目醒めて聴き耳をたてるような幼児の体験から、人生の「最初の悲しみ」をしったのだった。

堀辰雄もその文学もそんな飴チョコになる謂れもなければ、甘美な憧憬のみを表象するはずもなかった。
(吉本隆明 歳時記 『夏の章-堀辰雄-』より/昭和53年[1978])




2015年9月7日 月曜日 日々雑響録

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1時寝て4時起きてしまう暗闇。トイレに行き、戻り再度暗闇寝床。
この土曜深夜知った音を掛ける。その後イーノを♪。言語概念を耳にしたくなくて「アンファミリア・ウインド」を小さな音量でエンドレスリピート。

暗闇でガラパゴスかちかち日記をメモ。暗闇が友達になる間合い。

***

土曜は昼から人と会い・歩いたため、毎週末リズムを形成するラジオを聴けず。(永さん&外山さんラジオまでは聴いた。まもなく終わってしまうけども。)
それ以外=TBS土曜午後放送(久米さん~宮川さんの流れ)をダウンロードし、歩きながら日曜聞かせてもらった。

″いつまでも在り続けるだろう″その迂闊な思い込みに気付くのは、それが消える/消えたと知ってからのことで、失ってから如何にそれが大事でハッピーなものだったか、存在の欠落を知る。それが街や人、ネコやラジオ番組等々どれにもあてはまる。

改革、復興、未来、再開発…等、人を見下し愚弄するB級エセ言語たち。
土曜は永六輔~久米宏~宮川賢、この流れから実に多くのハッピーを貰えてきたのだろう。。。確かに。

***

ここ数年、昔お世話になった(りお馴染みだった)DJたちの今を辿ってきた。
その流れから、昨年後半からだろうか?伊藤政則の土曜深夜ラジオを聴く、そんな夜が極めてまれにある。

ヘビーメタル全盛の80年代なら聴くことはなかった。
政則さんと言ってまず思い出すのは、やはり全英トップ20が終わる土曜深夜3時に始まるロックトゥデイ。番組イントロ・ドラムのカカカンという音、大げさな「火を吹く○○…、走る○○…」という語り。
しかし、放送が掛かっていたのはイントロ数分だけで、すぐにラジオを切って寝支度へ。。。

中学時代にレインボー、AC/DC、マイケル・シェンカー、サクソン、アイアンメイデンは聴いていたが、その後形骸化していったこの手合い音楽とは縁を切った。
それゆえヒットしたボンジョヴィ、ヨーロッパなどの曲への嫌悪感は大きかった。

そんな自分も一周二周と回遊してきて、たまたま出会ったボンジョヴィのヴォーカルのソロアルバムを買って聴いたり、昔じゃ考えられない変化。
そんな折の政則さんラジオとの出会い。

最近面白かったのは、AC/DC新譜を語る政則節。掛かる音楽もベビメタ一辺倒じゃなく、昔の全面抵抗が消え、たまに発見がある。
驚くのが60歳を過ぎても何一つ変わらないエネルギッシュで硬派なしゃべり方。
こんなほめ方は無いのかもしれないが、その持続力に圧倒される。

この9月5日深夜には、こんな耳を疑うような美しい曲に出会い知ることが出来た。

■Anathema 「Ariel」2014■

例えば、当時は微妙な人だった今野雄二、彼が居てこその渋谷陽一という色の違いだったり、中村とうよう先生が居てこその世界があったり。。。
何かそんなことを横になりかちかち書いているうち、夜が明けてきた。

2015年9月8日 火曜日 キング・クリムゾンの来日

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キングクリムゾン来日決定を知ったのは、けっこう前だった。
とある夜中に知って、翌朝にはそれを兄や親にすぐ伝え、ずいぶん気にしていた。
それなのに、忙殺されるうちにチケット発売日を忘れてしまった。まあ取れるだろう、と思っていたのである。
それから日を置いて、買おうとしたら完売だった。

「情報」に疎い自分だが、近時、こんな一日・二日程度で完売するケースは少なく、おかしいと思っていた。
オーチャードホール収容人数が少ないのは分かっている。
活動期間が長く、熱狂的先輩たちが多いのも分かる。
だが、何かおかしく、まるでどこかで転売目的で買い占められたみたいな気がしてしまった。

その後、追加公演が決定した。今度こそは、と今思っている。
年の瀬12月は忙しいだろうが、後を考えてはならない。今の気持ちを大事に、最大限その気持ちを優先させるのが、今生きることだ。

ところでメンバーは一体どうなるんだろうか・・・今回掲載された写真にエイドリアン・ブリューが映っていない。こないだ兄と写真を見ながら、長い髪のはえあがったそれらしき人は居ないね、と言っていた。

ロバート・フリップ先生が居なければクリムゾンではないから当然居る。
ディシプリンから35年経っても何も変わっていないように見えるトニー・レヴィンも居る。
相変わらずスキンヘッド&ヒゲにスリムでカッコいい(向こうは変わらず、私の方が彼の姿に近付いてしまった)。

***

1981年再結成した「ディシプリン」で、リアルタイムの初体験したクリムゾン。
先輩たちは『こんなもんは』。。。そんな苦情の嵐の中聴く後ろめたさがしばらくあった。

CMで聴いた「21世紀の精神異常者」。それはその前後にあった。LPジャケットは知っていたが、音には距離があった。
(ジーンズのCMで、70年代の若者の映像との組み合わせだった気がする。あれはウッドストックかもしれない。)

幼少の頃、6つ上の兄の部屋にはカギがかかるようになっており、絶対に入れてもらえなかった。
そんな三ノ輪の家は今思えば不可思議な作りになっていて、最近兄と話して、その家はおじいちゃんが譲り買い受けた家で、元は置屋(おきや)だったことを知った。数十年目の真実。
おばあちゃんは、この場所は吉原土手と言われ、昔の男はここで一杯引っ掛けてから吉原に行ったんだよ、という話をよく聞かせてくれた。

兄が出かけた後、その部屋の斜めになった扉(竹で組まれており、かしいでいた)のスキマから盗み見て、真正面に厄払いお札のように立てかけられたファースト・アルバムLP「クリムゾンキングの宮殿」があった。
そのジャケット全面に、鼻と目を開いた男の絵。
「お兄ちゃんは、何かいけないものにハマっている」という意識。

そんな世代の兄からLPレコードを借りて聴かせてもらったのは、ディシプリン同時期だった。やっと自分がそれなりに話せるくらいまで追い付いてきた頃のこと。

***

追加公演があるから、何とかチケットを取って聴きに行きたいのだが、果たしてエイドリアン・ブリューは居るのだろうか?
フリップ先生はクリムゾンを維持するためには何でもする人だから。。。とはいえ、まさか「ディシプリン」以降のクリムゾンを支える軸だった彼を追いやるとは思えない。

兄と数年前、音楽の話しをしていた。
私が兄にテクノ/ニューウェイヴ以降の音を教え、兄が私にリアルタイム(=昔における当時)のプログレッシヴロックを教える、の図。
そんな兄が「他のミュージシャンと長く付き合えないフリップが、あんだけデヴィッド・シルヴィアンとさまざまな作品を作るなんて珍しい」と言う。私はとある音楽好きの方が書いていた話しをする。「実は、フリップはデヴィッド・シルヴィアンに心酔し、彼をヴォーカルに迎えて新生クリムゾンをしたかったらしい。フリップ本人は否定しているが、デヴィッドはその事実と”それは出来ない”と答えたと言っている。」話しをした。
なるほど。。。と2人で話が合致した。

***

エイドリアン・ブリュー独自の稀有なギターは、土屋昌巳さん並びに80年代のギタリストのスタイルに大きな影響を与えた。そのギターはもちろんだが、かなりこの人のヴォーカルも大好きなのである。
それだけに、日本公演でもエイドリアン・ブリューの姿を見たいと思っているのだ。

90年代以降のクリムゾンには詳しくはない。
むしろ兄が親にプレゼントした「スラック」(1995年)を、親が掛ける中で聴かせてもらったくらいである。その後、興味を今一度持ったのは、数年前の年末に出会った2000年作品「コンストラクション・オブ・ライト」。
その後「ブルーム」(1994年)も買った。ここにはブリューの好きなヴォーカル曲「ワン・タイム」が入っている。

もしチケットを取れたら、その日までに聴き込まねばと思っている。
実はもう心ははやっており、既にいろいろ選んでmp3プレイヤーに入れ込んでいる。

■キング・クリムゾン 「セラ・ハン・ジンジート」1981■

2015年9月12日 土曜日 今日の空

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クリムゾンを書いた8日・火曜日。
そして、その後。
台風~栃木茨城の豪雨、河川氾濫、そして決壊・・・という想定外の有事を喰らい、その対応に追われるうちあっという間。

ふだん心身あちこち不調でしんどいのが前提の日々も、緊迫する事態を前にするとピシッと見通しが良くなる。今の私には、クソ社会やクソ経済には一切興味を持てない、政治という見えないウソにも。
それでも身近で接する好きな人が悲しむなら、重いカラダは多少は動く。
「愛は地球を救う」ことは永遠に無いが、愛が起爆剤となりうることは大いにある。

金曜深夜、いったん休みへの合い間、深夜の帰路。
雨もやんだ公園。暗がりで黒ちゃん・キジトラちゃん夫婦が身を寄せ合って草むらで寝ている。暗闇から2人の眼が光る。起こしてしまった。

20代の阪神淡路や311などのとき、ヘヴィーな状況を背負ってしまい、しんどかったものが今回は無い。比較論ではない。ただ単に、とことん絶望していることを前提とするからだろう。

金曜夜眠ると、珍しく長い眠りに堕ちた。
自分では思ってもみなかった、それなりの疲れがあった。
好きな人は学校に避難している。非情だが、彼女にはちゃんと家族が居る。だから私が飛んでいく必要はない。

私は昼近く起きてお風呂に入り、お茶を呑むしきたり。
ラジオからの永さん・外山さんの声を聞く。
いらだちとウツを抱えて外に出て、日の下へと進む。



■柿原朱美 「空に近い週末」(今井美樹さん カバー)■
(詞:戸沢暢美 曲:柿原朱美 編曲:武部聡志)

1991年夏への流れの中、疲弊し切った週末。よく孤独な身をゆだねたこの一曲。
異国で孤独な中、救いとして身を寄せた一つ、今井美樹さん。救いの女神は未だに女神。

週末に ひとりなんて 久しぶり
椅子をベランダに出した

どれくらい 疲れてたか いまわかる
日差し 素肌につもる

何もかも 見えなくして
ふたりの愛は 悲しみへ 急いでいた

さえぎるものの ないキラメキに ただ帰りたかったの
不思議ね 空が近い

まちがいに 気づいたのに 戻れない
そんな恋 ねぇ あるのね

遠くから  小さな子が はしゃぐ声 歌のように聴こえる

目隠しで 過ぎた時が
残した傷に こだわりが いま消えてく

さえぎるもの ない風景が 胸にまたうまれそう

見上げた 空が近い
不思議ね 空が近い

I'LL Never Cry Again Just Sunshine In My Heart

忘れることは 許すこと
たぶん そうね

さえぎるものの ない青空に
あこがれて いたんだわ

不思議ね 空が近い
いつより 空が近い



















2015年9月14日 月曜日 冥途のみやげ展

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先日の「伝説の洋画家たち -二科100年展-」に続いて、オバケ・ゆうれいを巡る「冥途のみやげ展」を見に行った。
夏に引っ掛けた催事だが、まだ先があると思いつつ、買ったチケットを持って向かったのは開催最終日。もはや夏ではない秋。

本当は数週間前に会場前を通ったが、その日が東京芸大の早々の文化祭・人ごみの渦でむず痒くて回避した。しかし結局最終日なので、ふだんは行列の並ぶのが吐き気がするほど嫌いなのに、入場制限が掛かり30分くらい並んだ。さほど苦ではなかった。
頼りにならないウワサで集まるらーめん屋でもうどん屋でもないので。

東京芸大は、都美館などでアルバイトの頃、友人と学生食堂に潜り込んだ記憶が強い。
80年代後半のその食堂は、古く懐かしいひなびた空気を放っていた。
一緒に搬入設営をする友人は、芸大の食堂は300円もあればいろんなものが食べられるよ、と二人で行った。

そこは大竹伸朗さんの作品「覗岩」が生まれた、宇和島の食堂そっくりな様。
ラーメンにカレーライス。。。安いけど懐かしい味。

展示された、日本独自の「ゆうれい」が発生した源を辿りながら、江戸時代から明治にかけて書かれた水墨画のゆうれいの掛け軸を中心に、広重・北斎・国芳の作品も含めて構成。
趣旨とはそれるが、色鮮やかな浮世絵の”名画家”たちは、江戸時代の世界のポップスターだったんだな、と今一度実感する。
海の向こうにアヴァロン(桃源郷)たる、色彩にあふれた「ジパング」がある。そう恋焦がれたゴッホの切なくも熱い想い。背景に浮世絵を描いた作品「タンギーじいさん」とともに思い出す。

もうモノを集める歳ではないのだが、ついポストカードを買ってしまう。
ポストカード集めは、YMO写真集「OMIYAGE(おみやげ)」で教授のコーナーで知ってから続いている。

チケットのバックになっている「蚊帳(かや)の前の幽霊」(1906年/明治39年)の現物が素敵で、その一枚をポストカードで買った。個人的には「海坊主」の実画が怖く好きな作品として残った。

■Japan&坂本龍一 「Ghosts」 (Live on Old Grey Whistle Test)1982■






2015年9月15日 火曜日 生活の柄

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9月14日 月曜日
河川決壊後対応でくたびれて、早く寝れば良いものが、独り深酒。そんな時間が無かったら生きていけない。
2時半消灯、睡眠薬服用。

9月15日 火曜日
朝早く起きねばならず、設定したアラームが何度も鳴るが何度も消す。
さぶくねぶくなかなか起きられず。

朝一杯のおいしい緑茶。湯気。二杯頂き、薬を服用、入浴・湯に浸かる。
歯磨き、ヒゲそりとせわしない業務。

外に出ると、さわやかな風と秋雲・空。雲はヒューッとカールしてきた。
ただ葉っぱが落ち・バラけただけなのに、見る足元が秋に見えてくる。
色はまだ若い。

座るつもりはなかったが、二日酔い&足腰痛から、すいたでんしゃの席が空き座る。
タンジェリンドリーム「ハイパーボレア」(1984)&クマさんの「放屁庵退屈日記」(1985)をめくる。
素浪人時代に聖書のようにカバンに忍ばせていたクマさんの本。開くとところどころにエンピツの線。

【クマさんの左に座るは、相棒のガラちゃん】
仕事ざんまいで一日が通り過ぎる。
笑う時は笑い、ストレスはくっちゃべって散らす。

帰ると、ごきお出現。連中と同様唯一嫌いな生き物。タバコを吹かすと別階暗がりに消えていく。
いったん有事を回避。

心を落ち着かせるために久米宏さんの「ラジオなんですけど」の2013年8月録音版を聴く。
ゲストである俳優・久米明さんの話しの豊かさと声のふくらみに安堵する。

【こちらは短いシッポふりふり、カリカリを食べる黒ちゃん】
ここ数日、パソコンのフォルダ「2008-2011エトセトラ」から、適当にmp3プレイヤーに入れ込んだ曲を聴いている。311で切断され、しばらく聴いていなかったフォルダ。

高田渡さんの曲。
エノケン「私の青空」の高田さんカバーは、そのヘタウマさが身に染みいる。
今は無き劇団・カクスコの劇中・むさくるしい男だけのアパートで、その日暮らしのみんなが歌っていた様を見て以来、大好きな一曲。

しかし、この曲は意識外にあった。
その曲を、今になってやけに好きになり、繰り返し聴いている。

■高田渡 「生活の柄」■

歩き疲れては 夜空と陸との 隙間にもぐりこんで
草に埋もれては 寝たのです
ところかまわず 寝たのです

歩き疲れては 草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです

近ごろは眠れない
陸をひいては眠れない
夜空の下では眠れない ゆり起されては眠れない

歩き疲れては 草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです

そんな僕の生活の柄が 夏向きなのでしょうか?
寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気にからかわれて

秋は
秋からは 浮浪者のままでは眠れない

秋は
秋からは 浮浪者のままでは眠れない

2015年9月17日 木曜日 むずかゆい「社会的価値」と無意味

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タマの夜に外呑みに数杯だけ付き合い、地面に光が乱反射する雨の夜。
ふらふら酔いながら、それでも脳は回転していた。朝は弱いが、過去肝臓を壊せる程度に酒には強いほうである。

帰路の電車で、さらりーまん(給料生活者)的社畜2人が、ぐだくだ酔ってごたくを並べている。車内には人が居ない。観客は自分以外居ない。

2人ともとらわれの身を自ら忘我し、システムの一部として刷り込みされた「なにがしか」に夢中。囚人のように。それが意味のない会話に聞こえる。極めて狭い世界。

今さら言うまでもない、化かし合い世界の、よく見慣れた風景。
そうやって、数十年しか生きられないのにも関わらず、人はそこに沼のようにずぶずぶ浸かって行く。

聞きながら想いをめぐらせると、浮かぶはいつもどおり好きな人たちにぷかぷかと辿り付く。
じゃあ”誰ならこうだ”ということ。

好きな人たちはいつも、社会的価値なんか、大した意味なんか無いんだよ、ということを証明すべく、一個人として自らの粗暴なありさまを真実として具現化しようとしてきた事実。

***

捉え方は人それぞれだろうけれども、私にとっての大竹伸朗とは0を100にしようとする、そのアナーキーなさま自体に刺激と生きていく希望を抱く。
「画家」「非画家」という区切りを超えようとする、その情熱に胸を撃たれる。感情論ではない。
作品がどうこうより、そんな概念そのものを0にしてでも、今・ここに居る自分を基準にしていることにおいて。

坂本龍一は、かつてはそういった文脈とコードを引きずった人だったが、次第に社会的価値に引き寄せられていった。だからといって、未だ坂本龍一は大事な此の世の財産と思っている。
だが、まるで我慢比べみたいになるのも良くはないし、教授の稀有な才能も重々承知の上、俯瞰的に引いて見ればそう思う。

「そういう、お前自身が、それをまのがれ得ない”給料生活者”じゃねえか」とよく言われる。
まったくその通りである。
しかし、こんな醒めた意識を持って生きるか否かは、きわめて重要な分岐点とも思う。

必死で「社会・人」であろうとして(或いは”あらねばならず”と)「社会」に100寄り掛かるのと、50寄り掛かるでは大いな違いだろう。結局は、兄貴に昔言われた当たり前の言葉が浮かぶ『おまえが言う世界は、もう存在しないし、それは叶わない』。

それでも、0/100ではない場所に、生きるところを見つけるのがにんげんじゃあないのだろうか?。
個人が社会システムの内側に居たって、イコール社会人である必要はない、という当たり前の事実だけが置き去りにされているように思う。
この一点において、おもねり寝技を使い、しけこむ者ばかりのように見える絶望風景を永遠に望まない。

■坂本龍一 「ザットネス&ゼアネス」1980■

2015年9月19日 土曜日・深夜 ぼくらはここにいる。 

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歩くともうすっかり、秋がいっぱい。
それは撮る対象というより、写真の光に見える色合い。

てくてく今日も歩く。
それだけで、イヤなことも忘れる。ただただたのしい。







■矢野顕子・佐野元春&坂本龍一(詞:糸井重里) 「自転車でおいで」1987■























長いこと愛してきたアッコちゃんたちのこの曲。
音楽そのものも素敵だけど、HOJIROUさんが2008年に上げてくれた、このNHKの映像も素敵。
たぶん明け方の放送だろう。

ここには、この島に今も在る、井戸とそのまわりが映っている。

日々起きる悲しみや怒り。
そんな感情を忘れて、心の在り処を見つけ、精神が安定することが出来る。

2015年9月23日 水曜日 秋分の日

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6:50AM Good Morning
日々の苦しみや考えることはいろいろあるが、まとめようとするとまとまらず。
文字にしたためよう、とちんたらしているうちに、時のほうがじぶんを越えていってしまう。
そういうことで、そんな何かを築こうとする徒労はやめ、まとめようとする行為を捨て・断片に徹する。

どうあがこうが、今は今しかなく、今日は今日しかないのだから。
と書いたところで、”今夜は今夜しかないのさ”と言っていた白井貴子の言葉とダブってしまった。別に彼女の音楽ファンではない。





おはよう。早朝から仕事場へ。

午後しばらくすると、今日やれるコトが尽き、仕事場を出て歩き出した。
絶好の散歩日夜。



14:40PM 郵便発祥の地を通り過ぎる。







14:50PM 日本橋・室町あたり







15:10PM 神田・須田町







15:40PM 岩本町





16:10PM 御徒町



16:20PM 東上野





16:50PM 元浅草

カッパ橋

駒形橋





本所



18:00PM 桜橋付近でやせた子猫ちゃんに出会う
カリカリ一袋を平らげる。いつまでもすりすりしてくる。でも、家まで連れていけない。
また来るから元気で、と声を掛けて去る。

結局、島まで歩いてしまう。

■大村憲司 『ザ・プリンス・オブ・シャバ』1981■

ほら
もうずいぶん昔のことだけど ふっとふりかえってみると
そこにあの頃のまんまの自分がいて
あの時とあの場所が やけに輝いてみえるんだ 黄金色にね

あのころ、なんだか
じぶんのまわりのものはなんだってこのままずうっと 永遠にそのままでいるんだって
当然みたいに思っていたけれど

でも、お天気みたいなものでね
ずうっとそのままで 黄金色に輝きつづけるものなんてないんだ

でも、そうかな?
”昔のことだ”って言い切ってしまうには あまりにも生き生きし過ぎているんだからね
”あの日”はいずれ消え去ってしまうものかもしれない
でも、一本のレールのようなものが導いて 何かを黄金色に輝かせているんだ

悲しくなっちゃうよね 同情するよ
でもね、人生って夜のきらめきのようなもの キラキラと輝いているんだよ

”あのときのこと”は決して古ぼけてしまったりはしないんだ
いつだって輝いているんだよ 黄金色にね

(スティーヴィー・ワンダー「ステイ・ゴールド」1983 [コッポラ作品・映画『アウトサイダー』挿入歌])


食材を買って帰りラジオを点ける。
AMがつまらないのでFMに変えると、NHK・FMはラジオドラマ特集。
椎名誠さんの大好きな「気分はだぼだぼソース」”ふたりの部屋”をやっていて聴き入る。
伊武雅刀さんの声。

NHKはバカなのか?このマスターテープを捨てた事実を知る。
椎名さんのこのドラマは、聴いて録音していた人のカセットテープからリマスタリングしたものという。いったいどういうつもりなのか?
仮にも公共放送と名乗っているNHKの神経はいかに。。。
しかし、次第に納得が行った。
ラジオの存在はファンの想い入れの方が上。
映像はともかく、適当に捨ててしまえ、と言う肩書き入りの連中の姿が目に見えるように浮かぶ。
平気でマスターテープを捨てておきながら、YOUTUBEにアップしたラジオ番組には著作権を主張する。連中というのはその程度の存在なんだろう。まるでクレーマーそっくりである。
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